バディ工房設立1周年を直前にして

「どうしてバディカフェをやりたいの?」を、再確認できたある出来事
私が務める英会話教室のジンバブエ人の同僚に第2子が生まれた去年の夏の終わりのこと。
彼の病院から退院してすぐの生後2週間弱の愛娘が、自宅にて呼吸困難の状態となり救急車を呼ぶことになりました。駆けつけた救急隊員とジンバブエ人の同僚との通訳者として私は彼から電話を受け、少しでもお役に立ちたいと必死に通訳をしました。
そこには数人の救急隊員の方がいて、電話越しなのですが緊迫した空気を味わいました。
正直こわかったです。でもそんな私がこわさに飲み込まれることなく、前向きにその状況に向かうことができたのは、なんとかして生後2週間にも満たない小さなジンバブエ人の赤ちゃんのいのちを救おうとしていた救急隊員の人たちの働き様のおかげでした。
とにかく一丸となり必死に小さないのちを守ろうと働いてくれている。
電話越しなので実際には見ていないのですが、その向こうで何がなされているのか、私も実際にそこにいて自分の目でその光景を見ているかのように、彼らの必死さが十分に私まで伝わって来ました。
その小さな赤ちゃんは、幸い無事に病院に搬送されしっかりとそのいのちは守られて家族の元に戻って来ました。
このようにこの出来事は一件落着したのですが、それは深く強く私の心を動かすものとなりました。
その出来事があった日、私は心で叫んでいました。
「これだ。私はこの光景が見たいんだ。私はこのためにバディカフェをやりたいんだ。」
と、私の心が叫んでいました。
なんの力もない、生まれて2週間も満たない赤ちゃん。
まだ生まれたばかりで誰にも、何にも貢献もしていない、生まれたての赤ちゃん。
お父さんとお母さんがアフリカのジンバブエ人で、自分は日本に生まれた赤ちゃん。
そこには何人とか、子どもとか、大人とか、どれだけ社会的に役立っている、とか
一切関係なく、ただ、ただ、「いのち」だから守られていた光景。
ただ、ただ、「いのちは尊い」から
必死に「守りたい。助けたい。」と誰かがそのいのちのために働いてくれていた光景。
いのちには、上も、下もない。
いのちはただただ尊いから、無条件に守られるものだ、と私は本当にそう信じています。
だからそれが無条件に守られている光景を見たい。
いや、見ているだけでなく、その光景を自らの労働と人生を使って、
少しでもこの世界に創っていきたい。そうチャレンジしていきたい。
これが私がバディカフェをやりたいと思う根本の理由なんだ、と再確認できた出来事でした。
それからすぐに私は機会を見つけてこの出来事をバディカフェのスタッフにシェアさせてもらい、この想いを共有しました。
One Action One Life

私たちバディカフェはとてもシンプルなことを信じています。
私たちの起こす一つ一つの小さなアクションは、必ずや誰かの尊いいのちを守ることに繋がっている。このシンプルなことを信じて守り、繰り返し、繰り返しやっていく。
これが私たちの使命です。
これを土台に私たちバディカフェは工房をまた一つの大切な基地として、
これからもクリエイティブに活動を展開していきたいと願っています。
バディカフェの新しいスタートであった工房設立という試みは、
本当に多くの方々に支えられ、応援して頂き、この1年を突き進むことができました。
皆様、本当にありがとうございます。
そしてこれからも私たちのチャレンジの道のりを共に歩んでいただければ本当に幸いです。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
NPO法人ゴスペルエイド
バディカフェ代表
ウィリアムズ ゆり
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